カップ麺の誕生秘話

1971年、その後の日本の食文化を大きく変える商品が発売されました。
その名は、『日清 カップヌードル』。
今でも、コンビニのカップ麺コーナーにはなくてはならない、不動の定番商品です。
この商品が誕生するきっかけは、日清食品の創業者である安藤百福氏が、先に発売されて大人気を誇っていた『日清チキンラーメン』をアメリカに売り込みに行った際に、スーパーのバイヤーがとった行動だったと言われています。

話はそれますが、カップヌードルのCMで、「NO−BORDER」というキャッチコピーを見たことがある方は多いのではないでしょうか。”国境がない”というような印象を与える映像がCMで使われていましたが、これは、安藤百福氏の、

カップヌードルNO-BORDERのCM 「おいしさに国境はない」

という持論に基づいて考えられたコピーであると考えられます。
安藤氏は、この持論のもとに、チキンラーメンを積極的に海外に売り込んでいたのです。


チキンラーメンの商談にきた安藤氏を前に、そのバイヤーは、チキンラーメンの乾燥麺を手でボキっと割り、それを、コーヒーを飲む紙製のカップに入れて熱湯を注ぎ、フォークで食べたのです。

即席麺の国際化を志していた安藤氏にとって、この光景は衝撃的だったようです。

「箸やどんぶりを前提に考えていてはいけない。。。」

こんな思いを胸に抱き、専用容器入りのインスタントラーメンを開発したのです。

カップヌードルの価格は、当初、100円でした。
今の価値で言えばどういうことのない価格ですが、当時、袋に入ったチキンラーメンの価格が25円。ということは、100円はその4倍にあたります。今でいえば、320円とか、350円とか、そういった価格帯です。
高いですね。当時の問屋は、この高価格を理由に、カップヌードルの取扱いに消極的だったそうです。

もし、ここで、「そうなのか・・・。」と諦めていたら、現在、カップヌードルは存在しなかったでしょう。日清食品の社内においても、「カップヌードルはあまり売れないのではないか?」という意見が大半を占めていたといいます。

しかし、安藤百福氏は、カップヌードルの販売ルートの開拓を専門に行なう部署を社長直属で設置し、さまざまな組織に営業をかけていったのです。

その営業先とは、100円という高価格にあまり敏感ではなかった百貨店をはじめ、自衛隊、警察、警備会社にパチンコ屋、テレビ局などでした。どこも、夜勤があったり、現場での作業があったりで、手軽に食事を済ませる必要のある職場です。また、自販機の設置も積極的に推し進めています。

さらに、発売直後に銀座の歩行者天国で大規模なデモ即売会を実施。これは話題となり、回を重ねるごとに販売数は激増し、一日に数百万円を売り上げるまでになりました。


そして発売翌年の1972年。
あさま山荘事件 カップヌードルの知名度を一気に全国区にする事件がおこりました。
『あさま山荘事件』です。
当時、すでに警察機動隊にカップヌードルを納品していたため、事件の現場でカップヌードルを食べる機動隊員の姿がテレビニュースで度々放映されたのです。

さらに、その模様を見た各県警やテレビ局からもカップヌードルの注文が殺到して話題となり、カップヌードルは不動の人気を獲得するに至ったのです。

 もし、開発者の安藤百福氏が、食の国際化を志していなかったら、、、
 もし、開発にまつわる幾多の困難を越えることができなかったら、、、
 もし、問屋の言う事を真に受けていたら、、、
 もし、警察機動隊に商品供給をしていなかったら、、、

今、どこのコンビニにもあるカップ麺コーナーは、なかったかも知れません。
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